《樺沢の訳書》No.16
上級固体物理学 (2015/7)
P. フィリップス (著), 樺沢 宇紀 (翻訳)
単行本: A5判, x+396ページ
出版社: 丸善プラネット
発行日: 2015/7/15
ISBN-10: 4863452586
ISBN-13: 978-4863452589
◆ 原書
P. Phillips,
Advanced Solid State Physics, 2nd, ed.,
Cambridge University Press, 2012.
ISBN: 978-0-521-19490-7
◆ 概要
上級クラスの固体物理学に現れる諸概念を、総合的・包括的に解説した教科書。固体における電子系の量子力学的な扱い方の基礎を紹介してから、近藤問題、ボゾン化、金属超伝導、電子の局在、量子相転移、トポロジカル状態、強相関電子系などの具体的な諸問題を詳しく論じる。
◆ 目次[→ 詳細]
第1章 緒論
第2章 相互作用のない電子気体
第3章 Born-Oppenheimer近似
第4章 第2量子化
第5章 Hartree-Fock近似
第6章 相互作用のある電子気体
第7章 金属中の局在磁気能率
第8章 局在磁気能率の抑制:近藤問題
第9章 遮蔽とプラズマ振動
第10章 ボゾン化
第11章 電子 - 格子相互作用
第12章 金属における超伝導現象
第13章 結晶の乱れ:電子の局在とその例外
第14章 量子相転移
第15章 量子Hall状態とトポロジカル状態
第16章 強相関電子系:Mott問題
◆ 第三者による書評(敬称略)
◆ 内輪話
①この書籍に対する訳者の見方
固体電子論は、とてつもなく広範な研究分野であり、いろいろな方向性を持った新しい話題も次々に出てくるので、全体像を把握するのは極めて難しい。そんなことはそもそも不可能かも知れない。しかしながら時代に合わせて、ある程度の"標準的な"知見が一冊の本にまとめられることにも(それが所詮、完全なものではなくても)それなりに意味はあるだろう。本書はこのような観点から、現代的な"上級の"固体電子論に含まれる"標準的な"メニューの提示を試みたものと言える。客観的かつ公平に見て第1級の良書と言えるかどうか、私の限られた見識の範囲内では断言できないが、少なくともかなり価値のある労作であることは確かである。
私は昔、広義の固体電子論と言えなくもない分野の研究に携わっていたけれども、きちんと理論を勉強できていたわけではない。一応、最後の翻訳の仕事として、乏しかった自分の知識を反省し、自分の頭の中で再整理・補填・総括しておくのもよいかと思い、この本を翻訳対象として選んだ。客観的に見れば、原著者の考え方による題材の選択の偏りがあるとも言えるのかもしれないが、私にとっては、たまたまちょうど良い内容であったし、こういう労作を日本語で読めるようにしておくことは固体電子論に携わる広範な人々(大部の洋書に隅々まで付き合う時間の取れる人々ばかりではない)にとって悪くないことだと思う。しかし、これだけの内容を修士くらいまでで完全に習得するのも、実際問題として相当大変だろうという気もする。
②翻訳作業
原書を購入したのは2012年8月10日。2014年4月に翻訳作業を始めて、2015年5月初旬には、訳出を完了した。(2015年の年明けごろに、原著者に原書の問題点を報告し、数回電子メールのやり取りをしている。)
③出版社との交渉
これまで丸善プラネットから自費出版で訳書を出す場合、原則的には訳出がひと通り終わったか、終わりまでの見通しが明確になった時点で打診を始める形を採っていたが、この最後の訳出案件については、スケジュール的にいろいろ思うこともあり、訳出を始めた早い段階から丸善プラネットとの交渉を始めた。(2015年の前半までに、だいたい手元の関連作業にケリをつけたっかったのである。)打診を始めたのは2014年6月15日である。7月1日には、原書出版社に対して訳書出版検討権を抑えた旨の連絡を、丸善プラネットから受けている。製作費見積りは、訳出が完了していないために正確な見積りはできないわけだが、最終的なページ数を推定概算して丸善プラネットに伝えて、仮の製作費見積りを7月4日に受け取っている。原書出版社との訳書出版条件の合意は、同年7月末ごろであったと思われる。
完成した訳稿を丸善プラネットに送ったのは、2015年5月28日であった。その後、通例どおりのやり取りをしながら訳書製作作業を進めてもらい、何とか6月中に、当初の目論見どおり、手元の作業をほぼ終えることができた。7月3日に製作された訳書の「見本」を受け取っている。初刷りの発行日は2015年7月15日であった。
④日本語タイトルについて
原タイトル「Advanced Solid State Physics」をそのまま直訳した。「Advanced ~」の訳出については、サクライ『上級量子力学』を踏襲し、「上級 ~」とした。(私としては、これ以上に適切な代案は思い浮かばない。)
⑤訳語など訳出上の工夫・原書の誤植等の修正
P. W. Andersonによる「Poor Man's scaling」という術語が8.6節に出てくる。一般には日本語の文章でも訳出せず、そのまま「Poor Man's scaling」 あるいは「プア・マンズ・スケーリング」とするのがおそらく通例であろうが、私の方針としては日本語として意味不明な言葉を用いたくない。
「Poor Man's ~」を調べてみると、「貧乏人の~」というよりは、あまり上質ではなく手抜きをして作ってあるというニュアンス(質の劣った, 安価な, 手軽な)のようなので、訳語を「安物のスケーリング」としておいた。
この本については、ひと通りの訳出を終えた時点で、原書のミスを原著者に報告し、訳書における修正許可を求めた(83箇所)。ほとんど私の意図通りの修正に了承が得られた。しかしながらディラック方程式(15.43)に関しては、私の主張もある程度まで理解してもらえたものの、最終段階までのすり合わせができず(私の見解では)慣用的でない表記になっている。原著者が頑としてダメというものは、道義的にはそれに従って妥協するより仕方がない。私としては、左辺の行列の1行目と2行目を入れ替えさせてもらいたかった。
⑥仕上げ、製作不備、自戒・懺悔
最初に受け取ったカバー・デザイン案では、表紙の図の矢印が一部、逆向きになっていたりして最後の最後まで気が抜けなかった。
扉の裏のコピーライト記載のページでは、原著者の名前が「Phillip Phillips」と姓・名とも「l」を重ねてあるけれども、本当はファーストネームのほうは「l」がひとつで「Philip Phillips」である。この部分は丸善プラネットの責任範囲であって、私(樺沢)は関知していない。
⑦特に参考になった文献(リンク は amazon の商品ページ。リンクのないものは古書扱いです)
◈ フェッター, ワレッカ(松原武生・藤井勝彦訳)『多粒子系の量子論[理論編]/[応用編]』
(マグロウヒルブック1987年)(原書)
◈ 安藤陽一『トポロジカル絶縁体入門』(講談社2014)
⑧外部からの反応・評価について
この本のように、独自の構成を持つ専門書は、なかなかきちんとした評価を受ける機会がない。それは仕方がないことだと考えていたのだが、訳書出版後4年以上を経て、日本物理学会誌の『新著紹介』欄に、この訳書を取り上げていただくことができた(上記「第三者による書評」の項を参照)。私としては意外であると同時に、大変ありがたく思っている。書評を担当してくださった伊與田先生と、物理学会誌の新著紹介関係委員の方々に感謝を申し上げたい。
⑨この翻訳案件からの教訓
この書籍の分量からすると、訳書としては適当に分冊したほうが商品としては成立しやすくなるのだが、内容を見るとちょうどよい区切りを決め難かったので、分冊はやめて全1冊(訳書396頁)とすることにした。あまり高い価格で読者の購買意欲を削ぎたくなかったので、本体価格を6200円に抑えたけれども、これは最後の御奉公と思って設定した、破格の出血大サービス価格である。その結果、予想通りというべきか、しっかりと赤字案件になっている。そういうわけで、専門書の翻訳業が如何なるものか、最後にもう一度ダメ押し的に、しっかり認識させてもらうことになった案件だった。
⑩余録
通常、訳書というものは、無条件に原書より価値が低いものと見られがちなのですが、早川 尚男 先生(京大基礎物理研)は、
🎤昨日、Philip Phillipsとも議論しましたが、彼は講義で日本語の訳書を使っていると言っていました。それは訳者が原著のタイポを修正しているからだそうです。
という光栄な話を、ツイッターで紹介してくださった(2019年3月2日)。既に言及した通り「Philip Phillips」といのは原著者のフルネームである。そういうわけで、これは原著者からの訳書の評価を、極めて信頼し得る第三者の先生を介して伺えたという稀なケースになっている。訳者として大変有難いことだし、この訳書に関して、客観的にも意味のある評価だと考えている。