《樺沢の訳書》No.6
低次元半導体の物理 (2004/6)
J.H. デイヴィス (著), 樺沢 宇紀 (翻訳)
単行本: B5変判, xii+463ページ
出版社: シュプリンガーフェアラーク東京
発行日: 2004/06/18
ISBN-10: 4431711074
ISBN-13: 978-4431711070
*2012年に版元が丸善出版に変更。2015年に価格変更。
低次元半導体の物理 (2015/11)
J.H. デイヴィス (著), 樺沢 宇紀 (翻訳)
単行本: B5変判, xii+463ページ
出版社: 丸善出版
発行日: 2012/1/20 (価格改定発売日: 2015/11/?)
ISBN-10: 4621066269
ISBN-13: 978-4621066263
◆ 原書
J. H. Davies,
The Physics of Low-Dimensional Semiconductors - an Introduction,
Cambridge University Press, 1998.
ISBN: 0-521-48491-X
◆ 概要
本書はGlasgow大学で行われているナノエレクトロニクスの講義の内容をまとめた教科書である。量子井戸や量子障壁、2次元電子系、量子ドット、各種ナノ構造の性質を理論的に扱うための基礎となる手法を、初等量子力学の範囲内で分かりやすく解説してある。丁寧な数式の導出と説明、見やすい豊富な図面、充実した各章末の演習問題など全般に教育的な配慮が行き届いており、半導体ナノテクノロジーに本格的に携わろうとする者が、最初に基礎的な素養を身につけるのに適した教科書と言えよう。
◆ 目次[→ 詳細]
第1章 量子力学と量子統計
第2章 結晶中の電子とフォノン
第3章 ヘテロ構造
第4章 量子井戸と低次元系
第5章 トンネル輸送
第6章 電場と磁場
第7章 近似法
第8章 散乱過程:黄金律
第9章 2次元電子気体
第10章 量子井戸の光学特性
◆ 内輪話
①この書籍に対する訳者の見方
あまり込み入った上級理論は使わずに、半導体を用いて形成されるいろいろな"構造"の基礎的な扱い方が論じられている教科書である。量子力学と固体物理学の初歩を既に学んでいる学生ならば、容易に読み進めることができる口当たりのよい教科書であると思う。ナノエレクトロニクスの"基礎固め"に丁度よい内容の教育的な教科書は、和書の中にはあまり無さそうだと考えて訳出した。
②翻訳作業
手元での翻訳作業は2002年8月に開始し、(明確な記録は残っていないけれども、おそらく)2004年3月に初稿を引き渡した。原書のページ数が、これまでのものより多かったこと(438p)もあるが、訳出に随分時間を要した。訳文チェックを踏まえたテキストの最終稿は2004年5月に引き渡したものと推定される。(この書籍に関しては、図中の英語を日本語に直す作業をシュプリンガー側が手掛けたので、テキスト提出後に、その作業に関連する指示も行っている。)
③出版社との交渉
最初、丸善出版事業部(現在の丸善出版)に話を持ちこんだ。1999年6月であったが、丸善出版の検討の結果、同年12月に断られている。ページ数が多いことが敬遠された主要な理由のようであった。(価格が高めになると、需要はさほどないだろうというのが丸善の判断。)
次にシュプリンガー・フェアラーク(現シュプリンガー・ジャパン)に話を持ちこんだ。これが、2002年1月13日のことで、2002年2月25日にシュプリンガーから、訳書出版決定の旨、連絡を受けた。2002年9月に担当編集者がOさんからHさんに交代したが、このことに付随して問題が生じることはなかった。
上述のように2004年3月初稿を引き渡し、出版に向けた作業を進めて2004年6月18日に初刷りが発行された。
2007年に増刷の話が出て、(詳しい記録は手元に残っていないが)2007年2月末か3月頃に第2刷が発行されたようである。
2009年には第3刷が発行されている(10月10日)。
2012年からシュプリンガー・ジャパンは会社の大方針として和書事業をやめ、丸善出版に和書事業を移管することになった。これに伴い本書の発行元も丸善出版に変更となった。丸善出版での名目発行日は2012年1月20日。
2015年に丸善出版が価格改定を決定した。(私は連絡を受けたが、これについては私の方に決定権はない。)2015年11月に価格改定版が発行されている。(これがおそらく第4刷。)
更に、2020年12月に重版が製作された。この際、丸善出版から、価格を据え置くためには原稿の差し替えには応じられないと言われたので、この版では第⑥項に示す「残っている訳稿の不備」については、そのままである。このとき丸善出版の方針として、製作方法が従来のものから、イメージスキャンデータを元データとするPOD方式に変更された。(ただし販売方式に変更はなく、製作方法だけの変更。)2021年10月にも重版が手配されたが、版下データの差し替えに関して私への問い合わせはなく、丸善出版側のみの判断で重版が進められた。
2023年3月にも重版手配が生じたが、この際にはこちらから第⑥項に示す「残っている訳稿の不備」の修正をお願いして、丸善出版に修正に応じてもらうことができた。(第5刷。POD方式の重版製作なので、1回の製作部数はかなり少ない。)
(なお、これは出版社との間の話ではないが)2015年11月版が出たあと、ネットの各書籍販売サイトで当然これに該当する商品ページが新たに作られたわけだが、紀伊國屋書店ウエブストア、セブンネット、HMV&BOOKSの3箇所では、表紙(外観)画像を表示してもらえない状態が長らく続いた。売れ筋でない専門書など、所詮その程度の扱い方しかしてもらえないものなのかと思って放置していた。しかし2019年5月、思い立って各サイトに対して表紙画像表示の要請を行ったところ、対応してもらうことができた。ようやく(今更ながら)これで主な書籍販売サイト9箇所すべてで、最新現行版の表紙画像が正常に表示される状態になったわけだが、こういうことも出版にまかせておいてはダメで、自分で頑張らねばならない。(「主な」書籍販売サイト9箇所と私が見なすのは、上述3箇所のほか、アマゾン、honto、eーhon、Honya Club、楽天、TSUTAYAオンライン。)
④日本語タイトルについて
原書タイトルを、そのまま直訳した。他の案は考えていない。
(この分野に疎い人の中には、「低次元」と聞くと、日常語の「趣味・品性が低俗な」の意味を思い
浮かべる人もいるみたいだが、そういう人は想定読者ではないし、他に訳しようがない。)
⑤訳語など訳出上の工夫・原書の誤植等の修正
原著者によりネットに公開されていた「Errata」に基づいて、50箇所の原書の訂正を訳稿に反映させた。また、別途私が翻訳作業中に見出した12箇所の誤りに関しても、原著者にメールで確認を取った上で、修正を施しておいた。
3.2節 と9.1節に、半導体デバイスを作製するための基板として用いる薄い円形の半導体単結晶を意味する 「wafer」という単語が出てくる。これに対して日本語の文献において使われている音訳表記は「ウェハー」「ウェーハ」「ウエーハ」「ウエハー」「ウェハ」「ウエハ」と様々である。(英語発音に忠実な表記は「ウェイファー」だろうが、この表記が使われることはほとんどない。)同じ単語の複数形で、菓子の呼称として日常的に用いられる「wafers」の訳語が、慣用的に「ウエハース」もしくは「ウエハス」と表記されることが多いように(私には)思われるので、「wafer」の ”日本語表記” としては「ウエハー」もしくは「ウエハ」が穏当ではないかと考え、この訳稿では前者の「ウエハー」を採用しておいた。(しかしアンダーソン/アンダーソン『半導体デバイスの基礎』では後者の「ウエハ」を選んでおり、私自身の中でも訳語表記が一定していない。同じ本の中で統一されていれば問題はないと思っている。)
原書ではベクトル解析等で常套的に用いられる技法が、特に説明もなく本文中に用いられている。訳稿では、不慣れな読者への便宜を考えて付録に「訳者補遺」を設け、勾配・発散・回転の定義を付録G、直交曲線座標における一般的なラプラシアンの形と基本的な例(円筒座標・3次元極座標)を付録Hとして紹介しておいた。
「訳者補遺」の最後(付録I)に、ギリシャ文字と、その読み方として私にとって慣用的と思われるカタカナ表記を示している。これは高校まで(あるいは大学の教養課程でも)一般の学生がギリシャ文字に触れる機会がないという実情を配慮しての措置なのだが、実は各ギリシャ文字の正確な呼び方がどうなのかという問題は、調べてみると正解など決まらないという性質のものである。(特に ξ などは「クサイ」「グザイ」「クシー」・・・と慣用呼称自体がたくさん許容されている。)あくまで私自身の感覚において、まぁこう読んでおけば支障はないだろうという目安として提示したものと受け取ってもらいたい。
SI単位系の表記規則に厳密に従うならば、「℃」や「%」の前にはスペースが必要ということになるようだが、原書ではスペースを入れていないので、そこは訳稿でも、原書の慣用表記に従っている。
⑥仕上げ、製作不備、自戒・懺悔
原書に数箇所、「built-in field」という術語が出てくるけれども、訳書の旧版第1刷では1箇所、これを迂闊にも「内臓電場」としてしまった。(図7.13のキャプション。これでは生物臓器内の電場という意味になりそうである。そんな言葉はたぶん存在しないだろうが。)2007年の第2刷で正しく「内蔵電場」に修正した。
単位「μm」の「μ」に印字に関して、問題が無いとも言えないのだけれども、これについてはイムリー『メソスコピック物理入門』のページを参照。
2021年10月版で、まだ残っている訳稿の不備について、以下に示しておく。
p.68、2.6.3項の冒頭、「図2.16に示された価電子帯の構造は,」と始まっている。間違いではないけれども、図2.16には伝導帯も併せて示してあるので、少々誤解を招く可能性がある。「図2.16に示されたバンドの中の、価電子帯部分の構造は,」としたほうがよかった。また、同パラグラフ4行目の「基本単位胞(立方体ではない)」の部分に対して、訳註として「基本単位胞は,基本並進ベクトル(a/2, a/2, 0), (0, a/2, a/2), (a/2, 0, a/2)によって規定される “つぶれた6面体” である。」と補っておいたほうが、読者に対してより親切であったと思う。
p.96、図3.7には (a), (b), (c), (d), (e) の5つの図が含まれているけれども、キャプションでは (e) を誤って (d) としてあり、(d) が2回出てきてしまっている。キャプション最終行は、正しくは「(e) 障壁対の透過係数のエネルギー依存性.…」である。
p.316、下から5行目の冒頭、「 \tilde{V}(p) が q に依存しないならば,」となっているが、もちろんこれは、正しくは「\tilde{V}(q) が q に依存しないならば,」である。
p.377、式(9.57)の上4~3行目。「… qTF が電子の状態密度に依存しないことであり,」となっているが、「電子の状態密度」ではなく「電子の密度」が正しい。
これらの不備に関しては2023年3月手配の重版において、修正が施されている。
⑦特に参考になった文献(リンク は amazon の商品ページ。リンクのないものは古書扱いです)
◈ 日本物理学会編『半導体超格子の応用と物理』(培風館1984年)
⑧外部からの反応・評価について
名古屋大学の工学研究科における講義「半導体工学特論」の参考書のひとつとして、この訳書を挙げて頂いているようだ。担当教員として「天野浩教授」の御名前がある。どうやら2014年に赤崎勇博士、中村修二博士と共にノーベル物理学賞を受賞された、あの天野浩博士であるらしい。シラバスの「参考書」の項目の最初に、「量子効果がどのようにデバイス性能に関係するかを理解したい人は、低次元半導体の物理 J.H. Davis著,樺沢宇紀(Springer)を読むとよい。」と紹介されている。
沼居貴陽『固体物性を理解するための統計物理入門』(森北出版、2008年)という書籍には、参考文献として本書が(原書・訳書、併せて)紹介されている。
また、松尾 衛 先生(中国科学院大 Kavli ITS)からは、ツイッター上で、
🎤量子論の初等的な勉強を終え,これから場の量子論や量子多体系の煩雑な技法を自分なりに消化しなければならない段階の人にとって,それらと平行しながら,初等的な知識だけで半導体物性を学べる貴重な独習書だと思います.
等々、有難いコメントをいただいた。
⑨この翻訳案件からの教訓
原書のページ数は438ページ。洋書の専門書には、これと同等以上に分厚いものがいくらでもある。しかしながら最初に話を持ちかけて断られた丸善出版事業部の応対の様子では、この程度の分量の本でも、丸善の自社出版企画として通すためのハードルがかなり高いらしいという印象を持った。これ以降、丸善出版事業部(丸善出版)に打診する訳書出版案件は、原書のページ数が少ないものに限定することにした。結局、ページ数如何にかかわらず、その後も「丸善の企画する出版物」として私の提案を受け入れてもらえた案件はなかったけれども。(しかし③項でも触れたように、この本を含む3案件の産物は、その後の変則的な経緯を経て、丸善出版扱いになっている。)
⑩余録
この訳書の製作過程で、原書のミスの報告や原著者の名前の読み方の確認などのために、原著者 J. H. Davies と数回、直接メールのやり取りをした。原著者は私に対して好意的であったと思う。
・私が翻訳中に見つけた原書のミス(12箇所)を報告した際の、先方からの返答は次の通り。
You are entirely correct on all points. I shall add these corrections to my list and circulate it.
Thank you again for pointing them out and for reading the book so carefully!
また、訳書が完成して出版社経由で原著者に送られた際にも(文面は残っていないけれども)原著者から謝意を表すメールが私に届いた。
◆「訳者あとがき」再録
デバイス応用を念頭に置いた従来の半導体関係の教科書では,前置きとして半導体電子物性の概説があって,それからp-n接合の解説が始まるのが通例であろう.p-n接合が半導体デバイスの基本要素として重要であることは疑いようがなく,歴史的な経緯から見て最初に取り上げるべきデバイスの実例であるという見方に疑いを挟むことは難しい.しかしこれは教育的な配慮という観点から見て適切な措置なのだろうか.
理工系の学生は教養課程において,解析力学や初等量子力学を通じて,物理系が Hamilton関数のような形で数式的に明確に定義され,それを力学の基礎方程式(運動方程式や波動方程式)に適用することによって系の挙動が解明できるというエレガントな世界観に慣れ親しむ.しかし半導体デバイス物理を学ぶときに,最初にお目にかかるp-n接合の解説は,このような物理の基礎理論の感覚とは異質のものである.静的な電位分布をPoisson方程式で求めるところまでは,さほどに違和感はないにしても,整流作用の説明になると一挙に粗雑な現象論の世界に突入してしまう.もちろん不均一な非平衡系を正攻法で容易に扱えるものではないが,記述の煩雑さを避けるためとはいえ,現実の系に対する近似として成立するための諸条件とその理由を明示していない自己撞着的なモデルを唐突に提示しても,初学者が得心して受け入れられるものにはならないだろう.学生に対する半導体デバイスの手ほどきにおいて,p-n接合を入り口に据える従来のやり方では,理論的に粗雑な側面を真先に印象づけることになり,基礎理論のセンスのある学生をこの分野から遠ざけることになるのではないかと思う.もっとも現状では電子デバイスの専門家でも,正統的な基礎物理に疎く,しかもそのことを一向に気に病んでいない人は多い.技術的な大枠が決められている中で,Mooreの法則のような指針の下で微細化と集積化の競争に明け暮れているだけならば,基礎理論を気にするほうが野暮だとさえ言えるかもしれない.しかし近年ナノテクノロジーという新しい学際的な術語が現れて,世間で広汎な関心を集めていることからも覗えるように,歴史的な流れの中で"巨視的"な半導体デバイス,すなわちShockley的な流儀とその亜流が通用してきたような接合と表面とBoltzmann分布に従うキャリヤだけに頼る従来型の半導体デバイスの進展は,そろそろ最終局面にさしかかりはじめ,本格的に新たな地平を見据えるべき時局が到来しつつあると言えなくもないのではないかと思う.
本書は,原著者がGlasgow大学で行っている半導体ナノエレクトロニクスの講義内容をまとめた教科書である.その特徴としては,
(a) 初等量子力学に基づいて理論的に素直に扱える範囲内で,現代的な半導体デバイス物理の基礎的な諸相をうまくまとめて論じてある.
(b) 見やすい図面や演習問題も豊富に用意されており,学生が基本的な考え方を身につけられるように,教育的な配慮が行き届いている.
ということが言えると思う.私が学生の頃には存在しなかった,このような新しいタイプの優れた教科書(論文でも上級専門書でもない,教養課程の学生が読めるテキスト)を見ると,半導体の世界もある部分では随分と様変わりをしていることに,いささか隔世の感さえ覚える.場の理論のような上級理論の技法は出てこないので,量子力学の初歩を習った学生ならば確実に独習できる内容だが,それでも本書にひと通り目を通したならば,読者は初等量子力学の応用方法に関して最低限の素養が備わったものと思ってよいだろう.一度本書のような本を時間をかけて読んでおけば,電子デバイスの新たな諸問題を考える際に,一足飛びに粗雑な現象論に飛びつく前に,自分なりに量子力学の基礎に戻って正しい描像を考察する力が備わると思う.そういう潜在的な実力は,すぐに陽の目を見ることはなくとも,これから訪れるであろう本格的なナノテクノロジーの時代に,徐々に役立つ機会が増えてくるのではなかろうか.
私の翻訳の仕事は,形の上では余暇を利用した私的な余技である.しかし訳稿を正規の出版物として世に送り出すことは,一個人の余技としては著しく負担の大きい仕事であり,周囲の人々の直接・間接の協力や理解に支えられている面もある.シュプリンガー・フェアラーク東京株式会社には,学生数の減少と理科離れの風潮のために理工書の出版が著しく困難なこの時代に,何件もこの種の訳書の出版を引き受けていただいており本当に感謝している.日頃世話になっている(株)日立ハイテクノロジーズの方々や,私の翻訳の仕事を「日立グループの人材の多彩さ,社員個人の社会貢献活動を示す好事例」と評価してくれた日立製作所(ブランド戦略室)にも,この場を通じて感謝の意を表する.
2004年3月
樺 沢 宇 紀
追記 http://www.elec.gla.ac.uk/~jdavies/ldsbook から本書の原著者J. H. Daviesによる原書の正誤表を入手することができる.本書の翻訳では,この正誤表(2003年5月6日付)の内容を踏まえ,さらに訳者が翻訳中に新たに見出した原書の誤りやタイプミスに関しても,原著者に電子メールを通じて訂正内容を確認した上で,正しい記述に改めた.