《樺沢の訳書》No.13
量子統計力学 (2011/8)
L.P. カダノフ (著), G. ベイム (著), 樺沢 宇紀 (翻訳)
単行本: A5判, x+202ページ
出版社: 丸善プラネット
発行日: 2011/8/20
ISBN-10: 4863450907
ISBN-13: 978-4863450905
◆ 原書
L. P. Kadanoff and G. Baym,
Quantum Statistical Mechanics - Green's Function Methods in Equilibrium and Nonequilibrium Problems,
Addison-Wesley, 1962. (1989 Reissue)
ISBN: 0-201-41046-X
◆ 概要
量子多体系を扱うためのグリーン関数法と、その応用を解説した名著、L. P. カダノフ、G. ベイム"Quantum Statistical Mechanics"の邦訳。有限温度の多体系を扱う虚時間グリーン関数を議論の出発点として、グリーン関数の運動方程式を重視しながら、静的な近似(ハートリー近似・ハートリー - フォック近似)から平衡系における衝突緩和、さらには輸送・応答など実時間領域におけるダイナミカルな非平衡状態の諸問題までを包括的に扱う。
◆ 目次[→ 詳細]
第1章 数学的な緒論
第2章 G^{>} と G^{<} に含まれる情報
第3章 Hartree近似とHartree-Fock近似
第4章 G における衝突の効果
第5章 Green関数の近似計算技法
第6章 輸送現象
第7章 Coulomb系の応答を扱う簡単な近似
第8章 実時間と虚時間の応答関数の関係
第9章 緩慢な散乱とBoltzmann理論の一般化
第10章 準平衡状態の挙動:音波の伝播
第11章 正常Fermi液体に対するLandau理論
第12章 遮蔽ポテンシャル
第13章 T行列近似
◆ 第三者による書評(敬称略)
◆ 内輪話
①この書籍に対する訳者の見方
物性論へのグリーン関数法の応用を扱う書籍(アブリコソフ・ゴリコフ・ジャロシンスキーの本など)では、通常はまず絶対零度のグリーン関数が出てきて、その後、有限温度を論じるために"新たに"温度グリーン関数が出てくるというパターンが常套的である。それはそれで理に適っているのだけれども、必ずしも両者の関係が飲み込みやすくないように私には感じられる。
カダノフ&ベイムのこの書籍は、絶対零度を特別扱いせず、最初から温度グリーン関数が出てくる構成になっている。なるほどこのようにすれば、全体を包括的に温度グリーン関数で扱う形にできるわけで、納得しやすい一貫した観点が提示されることになる。もちろん現在の知見からすると、温度グリーン関数だけを過度に重視するわけにもいかないけれども、それは別途、学べばよいことだ。温度グリーン関数の一般的性質への理解が、無駄になるわけではない。
原書は昔からそれなりの名著として知られてはいたが、原著者の手製のタイプ原稿をそのまま版下として用いて作られたような本で、書籍としての(版面などの)完成度は低く、数式なども読みにくいものである。訳書はTeXで原稿(版下)を作ったので、少なくともそういう点では、原書よりもかなり読みやすく馴染みやすい本になっていると思う。
②翻訳作業
原書を購入したのは1997年11月7日。つまり、一番最初のザイマンの本の翻訳を、試しに手掛け始めていた頃のことであるが、当時はまだ訳書を出そうという明確な見通しがあったわけではなく、試しに買っておいた、という感じだったと思う。
翻訳に着手したのは2011年2月で、4月までに、おおよその訳出を終えている。東日本大震災(震度6弱を経験)の前後ということになる。震災後、訳業のほうに最大限に注力していたわけだ。
③出版社との交渉
丸善プラネットに話を持ちかけたのが2011年5月8日。原書出版社に対して訳書出版検討権を抑えたという連絡を、丸善プラネットから受けたのが5月17日であり、訳書の製作費見積りは5月19日に受け取っている。その後、経緯の記録は残っていないが、特に問題は生じなかった。おそらく7月頃に原書出版社との条件合意に至り、7月下旬には訳稿を引き渡したものと思われる。初刷りの発行日は、2011年8月20日になっている。
出版前の私の予想(ほとんど売れないかもしれない、とも思っていた)よりも売れ行きは良く、翌2012年には在庫が少なくなってきたので、丸善プラネットに第2刷の製作を申し入れた。第2刷の製作費見積りを2012年5月15日に受け取っている。第2刷の発行日は5月31であった。
④日本語タイトルについて
原書では「Green's Function Methods in Equilibrium and Nonequilibrium Problems」という副題が付いているのだが、長ったらしいので、訳書では副題を省いた。(批判はあるかもしれない。)
⑤訳語など訳出上の工夫・原書の誤植等の修正
原書の第7章のタイトルは、 「The Hartree Approximation, the Collisionless Boltzmann Equation, and the Random Phase Approximation」という、 章のタイトルらしからぬタイトルで、 章の初めの部分で節を立てずにハートリー近似に関する記述がある。訳書では、章のタイトルを「Coulomb系の応答を扱う簡単な近似」として(まあ、大局的な意図からそれほど外れていないと思う)、章の最初の部分を「7.1 Hartree近似」という節にした。そして、これに伴い、原書の7.1~7.5節を、訳書では7.2~7.6節にした。これ自体は穏当な措置だったと考えている。
(しかしこのことが初刷り最終稿作成のミスにつながってしまい、しかもそのミスを目立たせてしまうことになる。次項参照。)
⑥仕上げ、製作不備、自戒・懺悔
上述のように、原著は手製のタイプ原稿をそのまま版下として用いて作られたような、読みづらい版面の本なので、訳書をTeXで作ったことで、数式などは随分、見やすくなっている。
また原書中の図(ファインマン・グラフなど)をすべて、訳稿では貼り込みではなく、LaTeXの作図機能を使って作り直した。原書よりすっきりした、見やすい図になっていると思う。
ところで、初刷りの最終稿ファイルを作るとき、最後ぎりぎりまで修正をかけ、いろいろ変則的な作業をやっていたことに伴う手違いで、目次ファイルとして最終版の原稿のものではなく途中段階のものを使ってしまうという大失態をやらかしてしまった。このため初刷り本は、目次と本文テキストの実態が整合していない。ページ数のずれだけではなく、本文に存在する節のタイトルが目次にはない、などという見苦しいミスも生じている。翌年の第2刷で修正した。
(申し訳ありませんでした。 m(_ _)m )
(私が丸善プラネットを使った訳書の自費出版をやる際に、周囲に理解者がいるわけでもなく、原稿内容に関して編集者のサポートなども一切ない。自分が自分で見つけ損ねた訳稿のミスを、出版前に誰かが見つけてくれるということはないわけだ。孤立無援で全面的に自己責任というのは、結構、辛いところがある。)
第2刷で、まだ残っている訳稿のミスを示しておく。
p.35の12行目、「・・・ω ≧0においてゼロになる」となっているが、正しくは、「ω ≧ μ においてゼロになる」とすべきである。
p.175の6行目の文中の式、「A(p, ω) → 2π(ω ー p^2/2m)」は、右辺の「δ」が抜けている。正しくは「A(p, ω) → 2πδ(ω ー p^2/2m)」である。
第3刷では修正する予定。第3刷が出るかどうかは分からないけれども。
⑦特に参考になった文献(リンク は amazon の商品ページ。リンクのないものは古書扱いです)
◈ アブリコソフ, ゴリコフ, ジャロシンスキー(松原武生, 佐々木健, 米沢富美子訳)
『統計物理学における場の量子論の方法』(東京図書1970年)(英語版)
◈ フェッター, ワレッカ(松原武生, 藤井勝彦訳)『多粒子系の量子論[理論編]/[応用編]』
(マグロウヒルブック1987年)(原書)
◈ リフシッツ, ピタエフスキー(碓井恒丸訳)『量子統計物理学』(岩波書店1982年)(英語版)
⑧外部からの反応・評価について
原書がこの分野では有名な本なので、この分野に関わる多くの学生・研究者には認知されていると思われる。北孝文先生には、日本物理学会資の「新著紹介」欄で、この訳書に対して大変好意的な書評を書いていただいた(上記「第三者による書評」の項を参照)。ほか、たとえば「東大院生が薦める物理の教科書」というサイトにも、「非常にわかりやすく書かれた良くできた本」と紹介されている。
ウィキペディアの「レオ・カダノフ」(原著者の一方)の項目には、原書を「この分野の突出した名著」と評し「広く翻訳されている」と記してある。また、ウィキペディアの「ゴードン・ベイム」(原著者のもう一方)の項目には、原書に対して「この分野の名著であると考えられて」いるという評価とともに、この和訳書への言及がある。
⑨この翻訳案件からの教訓
出版前に、この訳書はもしかすると全然売れないかもしれないと思っていた。しかし出版してみるとそうでもなかった。珍しいことだが、私の予想が良い方向に裏切られることも全くないわけではない。しかし一方で、⑥項でも触れたように、この仕事において翻訳者に味方はいないということも事実である。
◆「訳者あとがき」再録
多体系への Green関数の応用を扱った書籍には,絶対零度の系を対象とした議論から始まるものが多い.導入部において過度の数式的な複雑さを避けるという見地から,この措置にはそれなりの利点がある.しかしながら,この“導入部”はそれ自体がかなりの難物であるというのが実情で,初学者はその部分だけで息切れしそうである.また,絶対零度に限定した Green関数が求まったとしても,それ自体にどの程度の有り難味があるのか,また絶対零度の議論を終えた後の展望はどうなるのか,初学者には五里霧中で見当がつきにくい.
本書の構成は,上述のような行き方とは対照的で,最初に有限温度の熱平衡系を対象とした虚時間Green関数を導入している.虚時間というものの概念的な馴染みにくさのために,人によって好みは分かれるとは思うが,このようにすると最初の段階において Green関数が,
・系内の粒子(および利用可能状態)の任意温度における分布( (p, ω)-分布)の情報.
・系の分配関数→状態方程式(P - n - T 関係式)に関わる情報.
をすべて含んでいることを明示できる.これはその後,いろいろな技法に頼って Green関数を求めることの動機付けを冒頭において鮮明にできるという点で優れたやり方ではないかと思われる.また虚時間 Green関数を基点とした場合,そこから有限温度の実時間応答や非平衡系の議論への移行も容易であり,総体的に簡明で包括的な議論を構成することが可能となる.
本書のもうひとつの特色は,最初に摂動展開の一般論とダイヤグラム規則を御膳立てしておくという Dyson - Wick流の方法を採らず,Green関数の運動方程式を解くという観点を重視していることである.運動方程式と Dyson方程式とは本質的に等価であるとしても,解釈をダイヤグラムだけに依拠しすぎると,本当の物理的なイメージをつかみ難い面が出てくる. Hartree-Fock項と衝突項が,定常的な自己エネルギーとその減衰効果というかなり異なる意味合いを持つことは,ダイヤグラムのトポロジー的な区別を見るだけではなかなか把握しづらいのではないだろうか.本書の記述は全般に簡素ではあるけれども,このような意味では物理的な観点を強く打ち出していると言ってよいと思う.
本書の原書は元々David Pinesを編者とする Forntiers in Physics Seriesの1冊として1962年に W.A. Benjamin, Inc.から出版されたものであり,現在では1989 Reissuesとして Perseus Booksから出ている.当初のあまり読み易くない版面のまま再版されているので取っつきにくい印象はあるが,内容的には Abrikosov, Gor'kov, Dzyaloshinskii の書籍と対照されるべき"もうひとつの名著"と言ってよいと思う.この訳出により,原書よりも数式が見やすくなるという点で読者の負担は軽減されると思うので,この分野に関心のある学生・研究者・技術者に,この訳書を有効に活用していただければ幸いである.
今回も訳書出版にあたり,丸善プラネット株式会社の水越真一氏,戸辺幸美氏にお世話になった.謝意を表したい.
2011年 6月
茨城県ひたちなか市にて 樺 沢 宇 紀